「釈迦内柩唄」
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職業ゆえに人からは忌み嫌われ、蔑まれ、その仕事
で生活する家族、そこには家族の深い絆と愛情、わけへだてのない人に対するやさしさがありました。
酒を呑まずにはいられなかった父、その父が山の畑いっぱいに育てたのは人の灰で育ったコスモスだった。人の顔かたちが違うように、コスモスの花
もまた、ひとつひとつ違って風に揺られて咲いている。
「こいはお母はんがもしれねぇな・・・。あっちの白ぇ花っこは朝鮮の崔さんがもしれね。花は死んだのの顔だでゃ・・・」と父・弥太郎は語るのだった。
ふじ子はこのとき「お父の仕事」を継ごうと思ったのだ。
父・弥太郎が死んだ日、ふじ子は父親を焼くカマの
掃除をしているところから舞台は始まります。ふじ子の胸に、さまざまな家族の思いでが
よみがえります。二人の姉のこと、お母はんのこと、
花岡鉱山 ※1から逃げてきた朝鮮人の崔さんのこと、そして憲兵
に殺された崔さんを焼かなければならなかった日のことなど・・・・・・・。
シャンシャンシャン・・・・・・コスモス畑を抜けてくる馬車の鈴の音。いつもは棺桶を運んでくる馬車が、今日は姉さんたちを乗せてくる。
家を離れて遠くに暮らす姉たちが帰ってくるのだ。お父を弔うために・・・。張りつめていたふじ子の顔には涙があふれ、
喜びの表情にみちあふれているのであった。
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